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——–Life With Music——–Vol.17

日本時間1980年12月9日13:07—ジョン・レノン没後30年の命日である。

ダコタ・ハウスの前でリボルバーから発砲された5発の弾丸の内、4発がジョンに命中。
運ばれたルーズベルト病院のスピーカーからは、死亡時刻にビートルズの「オール・マイ・ラビィング」が流れていたと伝えられた。

あの衝撃から30年。
多くのファンと同様に、悲しみと憎しみに打ちひしがれた記憶が蘇る。

私の楽曲作りの礎は、ビートルズの模倣から始まった。
デビューシングル「ラブ・ミー・ドゥ」?ラストアルバム「レット・イット・ビー」まで、詞も曲もアレンジも徹底的に分析して、パクっていた。
しかしサイケデリックな感性だけは上手く消化しきれず、オノ・ヨーコの良さも理解出来なかった。

ポール・ジョージ・リンゴとジョンの違いは際立ったカリスマ性にある。
メンバー全員天才には違いないが、普通の人が持ち合わせない、非凡な資質を持っていたのがジョンである。

後に赦免されたが、大非難を浴びた1966年の「キリスト発言」や、1969年のヨーコとの「ベッド・イン」パフォーマンスは、前衛的を超えて、もはや神がかりとも云えた。

2006年のリバプール旅行時に、戦争孤児院“ストロベリー・フィールド”と“ペニー・レイン通り”を訪ねた。
実質的にジョンの楽曲の「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と、ポールの楽曲だがジョンが住んでいた「ペニー・レイン」で、生い立ちを探る『マジカル・ミステリー・ツアー』に参加したが、凡人の私にはジョンの謎は解けなかった。

ソロ活動での名曲も数え切れない。
“Imagine all the people Living life in peace”

生きていれば70歳を迎えていた。
悲しい記念日だが、深い愛情と尊敬を持って、ジョンの精神と共に、人類の平和を願いましょう。・・・・・・・・(Vol.18へ続く)

—-Life With Music—-さあ想像してごらん、みんながただ平和に生きているって
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